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CSS アーカンソー(CSS Arkansas)はアメリカ連合国海軍の装甲艦で、南北戦争の西部戦線で活躍した。1862年7月15日にはビックスバーグの北軍封鎖艦隊を突き抜け、自身の損害を上回る損害を北軍に与えた。最終的には北軍による鹵獲を防ぐため、乗員の手で自沈した。 艦名はアーカンソー州に由来する。 ==艦歴== ===建造=== 1861年10月、J. T. シャーレイ(John T. Shirley & Co.)の手によってテネシー州メンフィスでアーカンソーの建造が始まった〔Still, ''Iron afloat,'' p. 62.〕。1862年4月、メンフィスに迫る合衆国海軍による鹵獲を防ぐため、アーカンソーはヤズー川(Yazoo River)を下ってミシシッピ州グリーンウッド(Greenwood)へ移動した。姉妹艦のCSS テネシーは航行できる状況には遠かったため、メンフィスで焼却処分されている〔Soley, James Russell, "The Union and Confederate Navies," ''Battles and leaders,'' v. 1, p. 629.〕。 1862年5月、リッチモンドの連合国海軍省は、ビックスバーグのアイザック・ブラウン(Isaac N. Brown)大佐に対し、グリーンウッドに移動してアーカンソーを完成・武装して就役させ、その指揮を執るように命令した。彼が到着した時点では、単に船殻が完成しているだけで、装甲は装着されておらず、エンジンの組み立てもまだで、大砲は砲架に載せられていなかった。装甲に使う予定の鉄道レールは、川底に落ちてしまっていた。直ちに回収命令が出され、川底の泥の中から装甲用レールが引き揚げられた。続いて、ブラウンはアーカンソーをヤズー・シティ(Yazoo City)まで曳航させ、地元の職人に工事をさせるとともに、陸軍の兵士200人に作業員として支援させた〔Still, ''Iron afloat,'' p. 65.〕。真夏の太陽の下での5週間の工事を行ったが、川の水位が下がって来たために、アーカンソーはヤズー・シティを離れざるを得なかった。この時点で艦尾と操舵室を防御するための湾曲装甲以外は完成していた。「外見を良くするために」、これらの部位は板金で覆われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アーカンソー (装甲艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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